秋の日は釣瓶落し ~日の入り~

時はまさに晩秋の頃、太陽高度が低く夕暮れが早まるのをまるで井戸の中に釣瓶(水汲み桶)を落とすように急であるかのような状況を例えて「秋の日は釣瓶(ツルベ)落し」とか、また「秋の日の鉈(ナタ)落し」とも言われますが、勿論これは誇張して言ったもので実際にはそんなに急に日が沈むわけではない。
 これには夕暮れが早まると同時に沈む方位が変わることも関係しているように思われる。 
 太陽高度は夏至を境に次第に下がり、まもなく迎える冬至頃に最も低くなるが、その南中高度差は約47度、日没時刻も2時間半ほど早まる。と同時に沈む方位も真西から一方位以上(約30度)南側に変化する。(下図は国立天文台資料参照)


この頃の変わり目ではこれらの進行は数値的にはやや早いと見て取れるが、それほど早急な現象として実感の伴うほどではないようにも思われる。
 しかし沈む方位が変わるとそれまで避けて通っていた建物や地物などが邪魔をして急に変化したように感じることがある。例えば数日曇雨天など太陽が出ていなかった後の晴れた日に、いつものきまった夕刻の作業時に急に沈んだような錯覚や実感があるのではないだろうか。
 またこのようなことわざが生まれた時代の背景を考えると、明治以前では江戸時代頃の庶民長屋の井戸端や炊事場の夕暮れ時が想像されるが、この頃概して建物は南側に広く開口部を設け、風通しと日照を取り入れやすくした構造でその棟は東西に延びた形状が多かったものと考えられる。そのため日の沈む方位が西寄りでは障害物がないかあるいは低いが、南寄りでは前の建屋の棟が見かけ上高くなるため実質的な日の入りが早まることになる。
 現在も町並みや団地など基本的にはそれほど変わっているわけではないが、一般の住居はほとんどが2~3階建、高層集合住宅も多く、過密な居住環境であると日陰になるところが多く、日照の日変化・季節変化には関心が薄くなっているようにも思われる。 
 現在と昔と大きく異なるのは、照明や暖房などスイッチを押すだけで容易に得られるので、日照に頼らなくとも特に不都合なことはないことです。しかし今は省エネが叫ばれている折、日照から得られる光熱エネルギーの有効利用はこれかもらもぜひ積極的に推進していくべき時代であると思う。